「アジア」を考える 2000-2015

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  • 藤原書店編集部編
  • 四六並製 296ページ
    ISBN-13: 9784865780321
    刊行日: 2015/06

132人の識者が「アジア」を論じつくす




目次


「アジア」はあるか   詩人・作家 高 銀
アジアとヨーロッパ   歴史学 岡田英弘

「アジア」を考える
 アジアの現場から共通の言葉を   日本思想史 子安宣邦
 「アジア」への郷愁   詩人 金時鐘
 「脱亜」か「入亜」か   ジャーナリスト 劉徳有
 アジアは存在しない   インド社会経済史 脇村孝平
 脱欧=脱亜   アジア史 濱下武志
 「アジア」の語を好む日本   世界史 杉山正明
 「アジア」を観る前にすべきこと   比較文学・比較文化 張 競
 「東アジアコミュニティ」論の原型   日本近現代史・アジア経済論 小林英夫
 アジア概念の脱構築   イスラーム研究 黒田壽郎
 「方法としてのアジア」へ   南アジア地域研究・政治思想史 中島岳志
 感情としての「アジア」   言語社会学 イ・ヨンスク
 「アジア系」のなかの「アジア」   政治思想・政治と文化 李静和
 アジアの「脱亜」   現代中国論・東アジア国際関係 国分良成
 問題把握の場としてのアジア   アジア研究 白石 隆
 東アジアとは何か   国際関係論・現代中国学・アジア地域研究 中嶋嶺雄
 「世界史の哲学」とアジア   オリエント学・文明学 岡田明憲
 地域概念の作為性   アジア政治外交史 平野 聡
 アジアの伝統   中国思想 加々美光行
 世界を俯瞰して   歴史学 宮脇淳子
 探す場所   作家 黒井千次
 アジアへの墓標   ロシア外交・中ロ関係史 岩下明裕
 「アジア」は有る   イスラム地域研究 田村愛理
 越境できるか? 日本のアジア主義   日本近現代史 姜克實
 もううんざり、義理の「アジア」   言語学 田中克彦

「アジア」を見る
 アジアの市民社会   経済学 西川 潤
 アジア史における「長期の十九世紀」   アジア経済史/グローバル・ヒストリー 杉原 薫
 歩くことで見えてくる   書家 岡本光平
 複数言語競合のアジア   比較文化・文化交流史 稲賀繁美
 東アジアの映画に思う   岩波ホール総支配人 高野悦子
 「同じアジア人でしょ」   脚本家 小山内美江子
 あの喧噪までの距離   作家 池澤夏樹
 いま、つながり始めるアジア   国際政治経済学 進藤榮一
 突き抜けるアジア   東南アジアのイスラーム・文化人類学 中村光男
 固有名のアジア   中東歴史研究 三木 亘
 国なき民族のさまざまな声   比較文化 竹尾茂樹
 グローバリゼーションと「アジア」   フランス文学・思想 鵜飼 哲
 蝉の声高鳴る街   文化人類学 今福龍太
 海域アジア世界からの発想   東西交流史 家島彦一
 東アジアの英知を世界に   東アジア文化交流史 陶徳民
 「海洋アジア」の視点から   比較経済史・比較文明史 川勝平太
 アジア系市民という「落とし穴」   アメリカ論・日米関係論・米中関係論 松尾文夫
 アジアにおける経済統合とは?   経済学 井上泰夫
 ヨーロッパ語とアジア語?   言語学 菅野裕臣

 官能の上海   ノンフィクション作家 柳原和子
 「中華民族の偉大な復興」への注文   東アジア情勢 山本 勲
 平和への祈り   俳優 栗原小巻
 アジア的文化空間を見つめる   近現代政治思想史 王 柯
 人無遠慮 必有近憂   教育学 王智新
 中国だって価値観外交   国際関係評論 金子秀敏
 大清国の帝国統治を理解すること   東洋史 岡 洋樹
 同時代人としての共感   現代中国研究 及川淳子
 怨と縁で結ばれるアジア   東アジア近代史 李相哲

 形成途上の「アジア」   朝鮮史 李成市
 “アジアの純真”   文芸評論家 川村 湊

 「ツバメ隊」   写真家 大石芳野
 バングラデッシュの鼠ども   美術評論家 瀬木慎一
 二五年ぶりのミャンマー再訪   中国・東アジア安全保障・ジャーナリズム 西倉一喜
 文化の力に学ぶ   アジア文化史 前田耕作

 悲しみの共有   ペルシア文学 岡田恵美子
 イスタンブールの「東トルキスタン人」   作家・トルコ研究家 澁澤幸子
 南西アジアの対テロ戦争を考える   イスラム地域研究 宮田 律
 イスラームという共通性   イスラーム学 飯塚正人

関係から見る「アジア」――中・台・韓・ロ
 日中「共同知」の構築を   国際関係 朱建栄
 亡命者を視角に入れた「共同体」を   作家・現代中国文学 劉燕子
 共有する伝統   東アジア科学史 渡辺純成
 辛亥革命百年   近現代日中関係史 安井三吉
 孫文の日本への愛と憎悪   中国近現代史 趙 軍
 言葉に秘められる歴史   中国語学 沈国威
 「アベノミクス」日本の役割   国際政治経済 田村秀男
 アベノミクスと中国   憲政史 倉山 満
 日中で価値観の共有を   公共政策 増田寛也

 台日間の新関係   国際政治 許世楷
 「サヨンの鐘」の記憶と喪失   民俗音楽学 小西潤子

 韓日の未来のために   歴史研究 朴菖熙
 まず歴史の共有を   歴史学 崔文衡
 文化は政治という国境を越える?   国際政治・文化交流 小倉和夫
 日韓条約四〇周年に思う   朝鮮近代史・思想史 姜在彦
 不平等条約   作家 金石範
 日本の神話と朝鮮   評論家 鄭敬謨
 “親日”が禁句の韓国   写真家 桑原史成

 ソロジェ、ソロジェ   作家 姜 信子
 「太平洋ロシア」   国際関係史・日本近現代史 ワシーリー・モロジャコフ
 ロシア(旧ソ連)を無視できるか?   東アジア文化論 丸川哲史
 歴史研究とナショナリズム   日ソ関係史 富田 武
 ロシア極東につながるアジア   日ロ関係 本田良一

「アジア」の中の日本/日本の中の「アジア」
 アジアのなかの日本再発見   古代日本・東アジア史 上田正昭
 日本国家の負債を清算しよう   地域経済論 中村尚司
 日本はアジアか   タイ研究 石井米雄
 「アジア」を問う場   日本学・文化交流史 杉原 達
 地域研究の深化   ヴェトナム政治 坪井善明
 アジアの流した涙   随筆家 朴才暎
 一面的歴史観からの脱却を   現代ロシア論・国際政治 袴田茂樹
 酔人問答とジャンケンのアジア   文芸評論 李御寧
 アジア諸国とのつき合いのむずかしさ   政治学 木村 汎
 アジア人労働者受入論の陥穽   コリア地域研究 朴 一
 世界も「アジア」、ネットワークの活力   歴史学・中東イスラーム研究 板垣雄三
 日本という先例   詩人・作家 辻井 喬
 「大アジア主義」者としての後藤新平   台湾史・日本近代史 春山明哲
 江戸時代知識人に問う   清朝史 楠木賢道
 岡倉天心を遠く離れて   美術・文学批評 針生一郎
 「東アジア」という抑圧   東洋史学 杉山清彦
 阿倍仲麻呂の望郷の謎   日中比較研究 王 敏
 東ユーラシアの中で日本を捉える   日本古代史・東アジア古代史 鈴木靖民
 日本と向き合う先に   中国市民社会と日中関係 麻生晴一郎
 「死」に臨んで「未来」を描く日本   言語学 スニトコ・タチアナ
 日本人は成熟できるか?   建築家 上田 篤
 「アジア語」としての日本語   社会言語学 ダニエル・ロング
 領土権をめぐるマスコミ報道   日韓文化交流史 松原孝俊
 くにざかい島――自らの歴史を知り交わる必要性   島嶼生活学 長嶋俊介
 侵食される?見えない壁?   境界問題 本間浩昭
 「国境」という空間のリアリティ   島嶼研究・境界研究 佐藤由紀
 日本は文明の新しい創造者に   国際政治 東郷和彦

沖縄から見る「アジア」
 この国の“怖さ”を知る   沖縄近代思想史 新川 明
 危機感と希望   詩人 高良 勉
 新しい琉球の時代の幕開け   島嶼経済論 松島泰勝
 琉球弧にアジアを観る   奄美諸島の歴史・経済・文学 前利 潔
 古代絶対平和思想の広がり   音楽家 海勢頭 豊
 東アジアの道標   詩人 川満信一
 太平洋の要石より「平和の要石」へ   建築家 真喜志好一
 「沖縄の場」から   佐喜眞美術館館長 佐喜眞道夫
 アジアは大きな市場   発明家・生命の誕生と進化 高安正勝
 奄美における気候変動   農業 新元博文
 アジアを観る遠近法――沖縄から   彫刻家 金城 実
 島嶼からアジアを見る   琉球史 豊見山和行
 八重山教科書採択問題を問う‼   エコツーリズム 石垣金星
 植民地支配と近代日本の沖縄経験   近世琉球史・近代沖縄史・先島史 平良勝保
 見えざる台湾人への眼差し   八重山台湾関係 松田良孝
 たとえ道は遠くとも……    八重山近現代史 三木 健
 国家を超える暮らしの連合   沖縄の文化・自治 安里英子
 日本にとって沖縄とは何なのか   社会学 大田昌秀


  あとがき


関連情報

■「アジア」とはだれか。
 太陽が昇る「アジア」とはだれなのか。
 いわゆる、西欧中心史観における客体なのか。サイードのいう「オリエント」も、彼のゆかりの地「中東」をどれだけ超えうるものなのか。そして、その「中東」において、「東アジア」とは何なのか。こちら側の「東南アジア」の風景は、「シベリア」に対して何なのか。近代的な地図の上で「アジア」とは、いかなる同質性も欠いたまま横たわる長年の支離滅裂な陸の連なりにすぎないのではないのか。
(高銀)

■初め、アナトリアの内陸に「アシオス」という川があって、その流域の土地を「アシア」と言うのだ、とギリシア人の間に伝えられ、それからアナトリアを「アシア」、すなわちアジアと呼ぶようになったのだという。とにかくヨーロッパもアジアも、その狭間で暮らしていたギリシア人の呼び名であって、(…)長い長い間、我々日本人は自分たちがアジア人だとはついぞ知らなかった。我々がアジア人だと知ったのは、やっと十九世紀になって、ヨーロッパ人に教えられてからのことである。
(岡田英弘)

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