- 元田永孚 著
- 野口宗親 編・訳注・解説
- A5上製 728頁
ISBN-13: 9784865784992
刊行日: 2026/5
明治天皇の“思想的支柱”(ドナルド・キーン評)は、いかなる男であったのか?
明治天皇の侍読・侍講を20年にわたって務め、「教育勅語」の作成に関わるなど、明治の政治・教育に大きな影響を及ぼした元田永孚(1818–91)。自らの生涯に重ねて、歴史の動きや、横井小楠ら関係者の人物像などを、驚異的な記憶力で詳述、権力の中枢にあった人物の自伝という稀有な歴史史料でありながら、難解ゆえに活用されてこなかった本書を、懇切に現代語訳し、詳細な注と解題・解説を付した決定版!
目次
還暦之記
序言
第一章 誕生
第二章 幼年時代
第三章 少年時代
第四章 学問・武芸に志す
第五章 時習館と家庭における学業
第六章 居寮生となる
第七章 実学党の誕生
第八章 黒船来航
第九章 開国と攘夷
第十章 王政復古
第十一章 明治天皇の侍読となる 還暦を迎える
古稀之記
序言
第一章 皇后宮大夫兼侍講となる
第二章 天皇親政運動
第三章 「教学聖旨」と『幼学綱要』 国会開設の詔
第四章 内閣制 条約改正 帝国憲法発布
解説 野口宗親
Ⅰ 元田永孚の自伝について(解題)
Ⅱ 元田永孚の思想について
編訳者あとがき――花立三郎先生のことなど
元田永孚研究文献目録/元田永孚略年譜/人名索引・事項索引
関連情報
■元田永孚(文政元年〔1818〕―明治24年〔1891〕)は上級武士(550石)の長男(士家の男子)として熊本に生まれ、幕末維新を経て明治4年より明治天皇の侍読・侍講を務め、天皇の側近として約20年、明治の政治や教育政策に大きな影響を及ぼし、「教育勅語」の作成にかかわった人物である。
『還暦之記』『古稀之記』は彼が誕生から死去の直前まで、ほとんど全生涯を回顧しながら詳しく著述した自伝であり、彼の目を通して見た世の転変や大きな影響を受けた横井小楠らかかわった人物、彼の思想・行動が克明に描かれている。その記憶力は抜群であり、多くの維新の英傑たちがまだ若かったり、暗殺されたりした中で、江戸末期から明治半ばまで74年の人生を生き、一貫して天皇の側近という権力の中枢(宮中)にあって、これだけ詳細な自伝を残した人物は稀で、貴重な歴史史料である。
■本書の主要な目的は、自伝の正確な現代語訳とともに、この自伝の解明を通して、元田永孚という人間像を研究し、その思想の形成や遍歴をたどることによって、彼がいかにして天皇の側近として明治の政治や教育に関わり、「教育勅語」の作成に至ったかを解明することにある。すなわち本書は単なる元田の伝記史料だけでなく、筆者による元田研究書でもある。 (編訳者)
著者紹介
●元田永孚(もとだ・ながざね/1818–91)
幕末から明治期の儒学者。明治天皇の教育係、また側近として活躍した。熊本藩の上級武士の長男として生まれ、祖父母や叔母らから寵愛を受ける。藩校時習館に入学して横井小楠から薫陶を受け、その後長岡監物・横井小楠らと実学党を結成して三代の治を志した。この間、長崎旅行の際、久留米で真木和泉より会沢正志斎『新論』を借りて帰り、水戸学の強い影響を受ける。父の死により家督を相続、京都留守居役・高瀬町奉行・側用人兼奉行等に任じたが、維新の際、会津出兵を主張して反対を受け辞任、大江に隠居した。まもなく熊本藩教授に復帰、1871年上京して大久保利通の推挙で明治天皇の侍読となる。当初は加藤弘之・福羽美静の意見に従い、経書の使用を控えたが、二人が転任して、一人侍講となり、『論語』を進講して、天皇の信任を得る。また大久保に説いて、侍補を設置させ、佐々木高行や吉井友実らの仲間を得て、宮中保守グループを形成して政府と対峙した。侍補はまもなく廃止されたが、元田一人は天皇の側近として残り、その相談役(顧問)として、逆に大きな権限を持った。そして1879年「教学聖旨」を起草、『幼学綱要』を編纂するなど仁義忠孝の儒教的徳育を主張、文部省に干渉して、政府の知識才芸の欧米流教育を儒教主義・国教主義の教育に転換させ、自身も起草に参加した「教育勅語」への道を開いた。また宮中顧問官・枢密顧問官となって、大日本帝国憲法・皇室典範草案の審議に参画するなど、明治前半期の政治・経済・外交・教育に大きな影響力を及ぼした。
【監修者紹介】
●野口宗親(のぐち・むねちか)
1944年(昭和19年)、鳥取県に生まれる。東北大学大学院博士課程単位取得退学。元熊本大学准教授。専門は中国文学・語学。横井小楠・元田永孚研究。
著書に『中国語擬音語辞典』(東方書店)、『横井小楠漢詩文全釈』(熊本出版文化会館、熊日出版文化賞)。論文に「明治期熊本における中国語教育(1)(2)(3)」(『熊本大学教育学部紀要』)などがある。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです