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  • 加藤登紀子+藤本敏夫
  • 四六変上製 520ページ
    ISBN-13: 9784894344433
    刊行日: 2005/3

初公開の獄中往復書簡、全141通

東大生歌手・加藤登紀子は、獄中の元全学連委員長・藤本敏夫と電撃結婚。歌手生活を休業し、長女・美亜子の出産を迎える。新しい「いのち」と向きあう中で、女として人間として大きな転機を迎える登紀子。他方、敏夫は、学生運動が求めた社会変革の限界に気づき、「食」と「農」に真の社会変革への道を見出す。刑務所の内と外に引き離された二年半に交わされた書簡141通。内面の激しい変化が包み隠さず綴られた、三十余年前の二人のたたかいと愛の軌跡。




目次

プロローグ
加藤登紀子

一  歴史は未来からやってくる  ――藤本敏夫 遺稿


二 空は今日も晴れています  ――獄中往復書簡 1972.5.16-1974.8.17

1 妻としてのはじまり 
1972.5.16-9.27

2 出産を待ちながら 
1972.10.12-12.7

3 美亜子誕生 
1972.12.7-1973.3.2

4 新しい時への模索 
1973.3.9-6.8

5 歌手への復帰 
1973.6.14-8.19

6 ふたりして粋人 
1973.8.21-11.28

7 中南米への旅 
1973.11.30-1974.3.25

8 加熱する農業志向 
1974.4.7-8.17


父の残した言葉
藤本美亜子
エピローグ
加藤登紀子

関連情報

■藤本敏夫・加藤登紀子の足跡

1943年12月27日 登紀子、ハルピンに生まれる。
1944年1月23日 敏夫、兵庫県甲子園に生まれる。
1963年 敏夫、新聞記者を志して、同志社大学で新聞学を専攻。
1965年 敏夫、京都府学連書記長に選ばれる。
      登紀子、日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝。
1967年 敏夫、羽田闘争を機に上京、明治大学を拠点に活動。
1968年3月 敏夫が登紀子に学生集会への参加を依頼し、二人が出逢う
1968年7月 敏夫、三派全学連委員長となる。
1968年10月21日 敏夫、国際反戦デーで逮捕され、69年6月まで拘留。
1969年7月 敏夫、内ゲバ激化に反論、学生運動から離脱。
1969年12月 登紀子、「ひとり寝の子守唄」でレコード大賞歌唱賞受賞。
1970年 敏夫、日本キューバ文化交流研究所事務局長に就任。
1971年12月 登紀子、「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞受賞。
1972年1月 登紀子、中近東へのひとり旅。
1972年4月21日 敏夫、学生運動関連で実刑判決を受け下獄。
1972年5月6日 登紀子と獄中の敏夫、電撃結婚
1972年12月7日 長女・美亜子、誕生
1974年1月 登紀子、中南米へのひとり旅。
1974年9月6日 敏夫、黒羽刑務所を出所。
1975年12月14日 次女・八恵、誕生
1976年3月 敏夫、「大地を守る会」会長に就任。
1980年4月12日 三女・美穂、誕生
1981年 敏夫、千葉県鴨川に移住し、自然生態農場「鴨川自然王国」設立。
1981年~82年 二人で「水と土の会」全国トークライブを開催。
1983年 登紀子、「居酒屋兆治」に高倉健の妻役で映画初出演。
1987年5月 鴨川自然王国にて結婚十五周年パーティーを開催。
1987年9月 登紀子、初のアメリカ4都市ツアー。
1998年12月 登紀子、日本人女性初のカーネギーホールでのコンサート。
1992年7月 登紀子、宮崎駿アニメ映画「紅の豚」にジーナ役で声の出演。
1992年9月 登紀子、フランス政府より芸術文化勲章シュバリエを受章。
1997年~2000年 敏夫、登紀子、Yae、「土に生きる」トーク&ライブを全国12カ所
  で開催。
2000年3月 敏夫、全国の青年農業者・流通団体などの協力のもと、参加者千人
  を超える持続農業推進全国集会を開催。
2000年10月 登紀子、UNEP(国連環境計画)親善大使に就任。
2001年6月 敏夫、持続循環型社会の推進母体IRM研究会を設立、代表に。
2002年 敏夫、農業の復活と都市生活の活性化を図るため、農林水産大臣に建
  白書を提出。
2002年7月31日 敏夫、死去(享年58)

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