これからの琉球はどうあるべきか

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  • 大田昌秀/安里英子+安里進+伊佐眞一+海勢頭豊+川満信一+我部政男+三木健
  • 藤原書店編集部編
  • 四六並製 344ページ
    ISBN-13: 9784865780604
    刊行日: 2016/01

琉球の八賢人が20時間にわたって語り尽くす!

「日米開戦半年後、アメリカは沖縄の日本からの分離を決めていた!」(大田昌秀)


目次

〈インタビュー〉なぜ沖縄は日本から切り離されたのか  大田昌秀 (聞き手) 藤原良雄 
  はじめに
 1 沖縄戦の実相を追う
 2 在沖米軍基地問題は、なぜなくならないか
 3 琉球処分から太平洋戦争を経て、米軍統治下へ
 4 あるべき沖縄のために


〈座談会〉これからの琉球はどうあるべきか――現代から過去に遡る
一 私の原点、私の立ち位置
 沖縄の龍宮神信仰を迫害してきた差別の歴史  海勢頭豊
 伊佐浜土地闘争の思想的体験から  川満信一
 沖縄戦の記憶  我部政男
 八重山の地域史を掘り起こす  三木健
 歴史研究から見る沖縄の日本化  安里進
 地域を歩いて辿りついた沖縄の精神世界  安里英子
 ヤマトに対するコンプレックスが沖縄研究の出発点  伊佐眞一

二 討 論
 1 「本土並み」復帰をめぐって――明と暗
 2 戦後米軍統治下の琉球
 3 一八七二―七九年の琉球処分以後
 4 琉球は日本か?――近世以前を問う
 5 次世代へのメッセージ

三 座談会を終えて
 マブイを取り戻し、ジュゴンと憲法九条を守護神にした国づくりを  海勢頭豊
 設計図を描こう  川満信一
 日本近代史の史料の周辺  我部政男
 沖縄が沖縄であり続けるために  三木健
 沖縄の老人を侮ってはいけない――コザ暴動世代と辺野古  安里進
 アジアのひろがりの中で、沖縄の自治を考える  安里英子
 独立独歩の気概を!  伊佐眞一


 編集後記
 琉球近世・近代史年表(1609-2015)

関連情報

 アメリカで調査して驚いたことは、沖縄の日本からの分離は、敗戦後どころか、真珠湾攻撃が始まって半年後には、沖縄を日本から切り離して、その管理を国際機関に委ねて二五年ごとに沖縄が軍事基地化されていないかをチェックさせる計画が、米国務省で議論されていた記録が発見されたことでした。
 米軍は慶良間諸島に上陸した第一歩の時点で「米国海軍軍政府布告第一号」を公布しています。それには、アメリカはその戦略上、南西諸島およびその近海における日本の施政権、司法権を停止して米軍の占領下に置く旨、明記されていました。さらに軍閥を解体して、日本の非軍事化を図るために沖縄を占領下に置く必要がある、という目的が明記されています。つまり、沖縄は、そのための手段に供されたことが判明しました。
大田昌秀


【川満】 戦後、一九六八年前後の本土復帰の見通しが立った頃から、この復帰のあり方は、第三の琉球処分じゃないかと、明治の琉球処分への関心が高まりました。
【我部】 清朝か日本かという場合に、当時の沖縄人が日本につくのは当然だと考えるのは、皇民化教育がある程度進んだ、沖縄人の意識の反映だろうと思います。
【伊佐】 (琉球処分の)近代の国際法的根拠は、非常に弱い。明治五年の琉球藩の設置は、実質的な統治機構の改変を伴わず、たんなる名称の変更に過ぎません。
【安里(進)】 日本側は日琉同祖論を持ち出して琉球処分を正当化しますが、琉球側は国王を初め、併合はやむを得ないとか、日本に吸収されようとは一切言っていない。
【海勢頭】 明治政府が天皇制の正統性を神話に求め、紀元前六六〇年二月十一日に遡って神武を天皇にして、そこから国の歴史を作ろうとした。このうその歴史がばれないように、琉球処分がなされたんだろうと思います。
【三木】 琉球処分のとき、八重山では明治政府の支配に対する士族の抵抗運動が続きましたが、日清、日露戦争を経て、また、皇民化教育の浸透に従って下火になります。
【安里(英)】 父の話では、処分後首里は退廃したそうです。士族は王府からの俸禄がなくなり、明治政府から支給された券は、一挙に使い果たして生活できなくなった。


●大田昌秀(おおた・まさひで)
1925年沖縄県久米島生まれ。元沖縄県知事。
1945年、沖縄師範学校本科2年在学中に鉄血勤皇師範隊の一員として沖縄守備軍に動員され沖縄戦に参戦。1954年、早稲田大学卒業。その後、ニューヨーク州シラキュース大学大学院修了(ジャーナリズム修士号取得)。東京大学新聞研究所で3年間研究。1973年、ハワイ大学イースト・ウェストセンターで1年間教授・研究。1979年、フルブライト交換教授としてアリゾナ州立大学で1年間教授・研究。
1957年~89年、琉球大学教授、法文学部長。1990年~98年(2期8年)の沖縄県知事時代は、「平和の礎」や「新沖縄県立平和祈念資料館」「沖縄県公文書館」などをつくった。2001年~07年、参議院議員。知事退任後、大田平和総合研究所(現在はNPO法人沖縄国際平和研究所)をつくり平和研究を続ける。

●海勢頭 豊(うみせど・ゆたか)
1943年沖縄県平安座島生。沖縄から沖縄問題と絶対平和を訴え続けるミュージシャン。18歳よりギターを独習。
代表的な歌に「喜瀬武原」「月桃」「さとうきびの花」など多数。映画「GAMA――月桃の花」を製作し、全国の中高校でロングラン上映中。各地での平和コンサート、オペラやミュージカル製作など、作曲、演奏活動は多岐にわたる。
ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)代表。著書に『真振 MABUI』(2003年)『卑弥呼コード 龍宮神黙示録』(2013年、以上藤原書店)等。

●川満信一(かわみつ・しんいち)
1932年沖縄県宮古島市生まれ。琉球大学国文学科卒。国文学専攻。文学を志したのに沖縄問題に拘り雑文屋になった。伊佐浜土地闘争とマルクス資本論への出合いが人生を方向づけた。1981年『新沖縄文学』に「琉球共和社会憲法C私(試)案」を発表。沖縄タイムス記者、『新沖縄文学』編集責任、個人誌「カオスの貌」主宰。
著書に『川満信一詩集』(1972年、オリジナル企画)、『沖縄・根からの問い』(1978年、泰流社)、『沖縄・自立と共生の思想』(1987年、海風社)等。

●我部政男(がべ・まさお)
1939年沖縄県本部町生まれ。琉球大学卒業・東京教育大学大学院文学研究科博士課程修了。日本近代史。琉球大学教授、山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、山梨学院大学名誉教授。近代日本政治史に関する著作・論文及び史料集のほか、琉球処分や沖縄戦など沖縄近現代史に関する著作も多数。
著書に『明治国家と沖縄』(1979年)『近代日本と沖縄』(1981年)『明治十五・十六年地方巡察使復命書』上・下巻(1980、81年、以上三一書房)、『沖縄史料学の方法』(1988年、新泉社)色川大吉・我部政男監修『明治建白書集成』全九巻(1986-2000年、筑摩書房)など。

●三木健(みき・たけし)
1940年沖縄県石垣市生まれ。明治大学政経学部卒。ジャーナリスト、石垣市史編集委員長、竹富町史編集委員、沖縄八重山文化研究会会員。琉球新報記者をしながら八重山の地域史掘り起こしに従事。琉球新報記者、編集局長、副社長で退職。
主著に『西表炭坑概史』(1983年、ひるぎ社)、『八重山近代民衆史』(1980年、三一書房)、『八重山研究の人々』(1989年、ニライ社)、『ドキュメント沖縄返還交渉』(2000年、日本経済評論社)、『八重山を読む』(2000年、南山舎)等。

●安里進(あさと・すすむ)
1947年沖縄県那覇市首里生まれ。琉球大学法文学部史学科卒業。民間会社、大阪府教育委員会文化財保護課、浦添市教育委員会学芸係長、同文化課長、同文化部長、沖縄県立芸術大学教授を経て、2013年より沖縄県立博物館・美術館館長。専攻は考古学・琉球史。
主著に『沖縄人はどこから来たか――琉球・沖縄人の起源と成立』(共著、2012年、ボーダーインク)、『琉球の王権とグスク』(2006年、山川出版社)等。

●安里英子(あさと・えいこ)
1948年、沖縄県那覇市首里生まれ。ライター。沖縄大学非常勤講師。1977年、復帰5年目に一人でミニコミ誌『地域の目』を発行。地域の自治・暮らしの問題にかかわる。90年から97年にかけて琉球弧の島々をまわりリゾート開発の実態をルポすると同時に御嶽などの聖地を巡る。
『揺れる聖域』(沖縄タイムス社)で第5回地方出版文化賞次席(1991年)、第2回女性文化賞(1998年)。主著に『琉球弧の精神世界』(1999年)、『凌辱されるいのち』(2008年、以上、御茶の水書房)など。
現在の主な活動は、朝鮮人強制連行(軍夫)の調査・研究をすすめる「NPO法人・沖縄恨之碑の会」の代表をつとめる。

●伊佐眞一(いさ・しんいち)
1951年沖縄県那覇市首里生まれ。琉球大学法文学部経済学科卒。1977~2012年琉球大学在職。1981~1982年カリフォルニア大学バークレー校に学ぶ。近現代沖縄史家。主著に『謝花昇集』(1998年、みすず書房)、『伊波普猷批判序説』(2007年、影書房)、『太田朝敷選集』(全3巻、共編、1993-96年、第一書房)。独自の歴史と文化を育んできた琉球・沖縄――そこを根にして、21世紀前半の世界を生きていきたい。

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