- 加藤淑子 著
- 編・新版まえがき=加藤登紀子
- A5変並製 272頁・口絵8頁
ISBN-13: 9784865784749
刊行日: 2025/9
「どんな時も人は人、お互いを尊重することから関係が始まる。」(加藤淑子)
“東洋のパリ”と言われた、ロシアの面影濃い美しい街、国際都市ハルビンに生まれた加藤登紀子。その母・淑子は、満鉄に入った夫・幸四郎とともに、1935年に満洲国ハルビンに渡った。45年の敗戦とともになだれこんだソ連兵にロシア語で堂々と話しかけ、敗戦後の過酷な日々を明るく生きぬき、3人の幼な子を連れて帰った、1人の女性の生々しい体験記。
目次
新版へのまえがき(加藤登紀子)
プロローグ
第1章 太陽は地平線を昇る
大地の夜明け/マリア・ニコラーエヴナの家/炊事場のロシア語レッスン/ハルビンでのお買い物/見知らぬ街での生活がはじまる/男の友情/お茶を飲む女たち/いつも音楽があった/ウォトカの飲み方/サモワール
第2章 チェリョームハの木陰で
サハロフの家/ロシア人のお祭り/ロシア語を習う/スンガリーで遊ぶ/ストラグスの家/ユシコフはマネキン屋/大和アパートへ/太陽島でのひと夏/父のハルビン訪問/スンガリーのダーチャで/トホール家の動物たち/ペチカ
第3章 戦火しのびよる街
再び京都へ/祖母ハナとの暮らし/祖母ハナの死/トホール家の結婚パーティー/イワノフの家へ/ピアノのレッスン/義弟の結婚、そして召集/新町の家で/夫は露語教育隊/ハルビンへの帰郷/家をつくる若いロシア人夫婦/登紀子の出産/奉天は臨戦態勢/昭和19年年末の空襲/夫はいよいよ戦地へ/ソ連参戦/ハルビン学院/ハルビンという街
第4章 今日を生きる野草の如く
終戦の日/トラックに乗って収容所へ/略奪がはじまる/北方からの避難民/将校オサッチ/人形づくり/秋林のお針子になる/星輝寮を出る/ミシンで開業/中国式の食べ物/ソ連軍の撤退/ハルビンに残る?/引き揚げを決心/出発の日―9月6日/フローシャの最後のごはん/地平線の向こうに
エピローグ(加藤登紀子)
あとがき(加藤淑子)
加藤淑子年譜
図版出典一覧
プロローグ
第1章 太陽は地平線を昇る
大地の夜明け/マリア・ニコラーエヴナの家/炊事場のロシア語レッスン/ハルビンでのお買い物/見知らぬ街での生活がはじまる/男の友情/お茶を飲む女たち/いつも音楽があった/ウォトカの飲み方/サモワール
第2章 チェリョームハの木陰で
サハロフの家/ロシア人のお祭り/ロシア語を習う/スンガリーで遊ぶ/ストラグスの家/ユシコフはマネキン屋/大和アパートへ/太陽島でのひと夏/父のハルビン訪問/スンガリーのダーチャで/トホール家の動物たち/ペチカ
第3章 戦火しのびよる街
再び京都へ/祖母ハナとの暮らし/祖母ハナの死/トホール家の結婚パーティー/イワノフの家へ/ピアノのレッスン/義弟の結婚、そして召集/新町の家で/夫は露語教育隊/ハルビンへの帰郷/家をつくる若いロシア人夫婦/登紀子の出産/奉天は臨戦態勢/昭和19年年末の空襲/夫はいよいよ戦地へ/ソ連参戦/ハルビン学院/ハルビンという街
第4章 今日を生きる野草の如く
終戦の日/トラックに乗って収容所へ/略奪がはじまる/北方からの避難民/将校オサッチ/人形づくり/秋林のお針子になる/星輝寮を出る/ミシンで開業/中国式の食べ物/ソ連軍の撤退/ハルビンに残る?/引き揚げを決心/出発の日―9月6日/フローシャの最後のごはん/地平線の向こうに
エピローグ(加藤登紀子)
あとがき(加藤淑子)
加藤淑子年譜
図版出典一覧
関連情報
私がはじめて足を踏み入れたハルビンは、昭和10年にソ連が東支鉄道を満州国へ譲り渡して引き揚げていった直後でしたから、ロシア人にとっては、私たちの戦後とよく似た状態だったと思います。
けれども、彼らはあくまでも自分たちの培ってきたものを守りつづけ、日本と満州国の支配下にありながら、誇り高く自分自身の文化を守り、教会を中心に美しく生活していました。
このつたない文章が、今は消えていった『ロシア人のハルビン』の様子を少しでも伝えられたらうれしいです。 (加藤淑子)
けれども、彼らはあくまでも自分たちの培ってきたものを守りつづけ、日本と満州国の支配下にありながら、誇り高く自分自身の文化を守り、教会を中心に美しく生活していました。
このつたない文章が、今は消えていった『ロシア人のハルビン』の様子を少しでも伝えられたらうれしいです。 (加藤淑子)
著者紹介
●加藤淑子(かとう・としこ)
1915年京都生まれ。京都市立堀川高等女学校卒業後、洋裁学校へ通う。1935年、20歳で結婚すると同時に、当時の満州ハルビンへ夫とともに渡る。11年間のハルビン生活を経て46年に帰国後は、洋裁などを手がけながら、幹雄、幸子、登紀子の3人の子供を育てる。57年、夫幸四郎とともに東京・新橋にロシア料理店「スンガリー」を開店、さらに京橋、新宿歌舞伎町、青山へと出店、店を切り盛りする。2006年には「スンガリー」50周年を迎える。2017年1月2日、101歳で没。
【編者紹介】
●加藤登紀子(かとう・ときこ)
1943年ハルビン生まれ。65年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手デビュー。「赤い風船」で66年レコード大賞新人賞、69年「ひとり寝の子守唄」、71年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞。以後80枚以上のアルバムと多くのヒット曲がある。歌手活動のほか女優、宮崎駿監督『紅の豚』(1992年)では声優として活躍。UNEP親善大使や農園「鴨川自然王国」での活動など環境問題にも取り組む。著書に自伝『青い月のバラード』(小学館)、書と詩『ひとりぼっちはひとりじゃない』(平凡社)、夫・藤本敏夫との往復書簡『絆』(藤原書店)、その他『愛の讃歌――エディット・ピアフの生きた時代』(東京ニュース通信社)、『百万本のバラ物語』(光文社)、『運命の歌のジグソーパズル』(朝日新聞出版)、『トコちゃん物語』(合同出版社)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1915年京都生まれ。京都市立堀川高等女学校卒業後、洋裁学校へ通う。1935年、20歳で結婚すると同時に、当時の満州ハルビンへ夫とともに渡る。11年間のハルビン生活を経て46年に帰国後は、洋裁などを手がけながら、幹雄、幸子、登紀子の3人の子供を育てる。57年、夫幸四郎とともに東京・新橋にロシア料理店「スンガリー」を開店、さらに京橋、新宿歌舞伎町、青山へと出店、店を切り盛りする。2006年には「スンガリー」50周年を迎える。2017年1月2日、101歳で没。
【編者紹介】
●加藤登紀子(かとう・ときこ)
1943年ハルビン生まれ。65年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手デビュー。「赤い風船」で66年レコード大賞新人賞、69年「ひとり寝の子守唄」、71年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞。以後80枚以上のアルバムと多くのヒット曲がある。歌手活動のほか女優、宮崎駿監督『紅の豚』(1992年)では声優として活躍。UNEP親善大使や農園「鴨川自然王国」での活動など環境問題にも取り組む。著書に自伝『青い月のバラード』(小学館)、書と詩『ひとりぼっちはひとりじゃない』(平凡社)、夫・藤本敏夫との往復書簡『絆』(藤原書店)、その他『愛の讃歌――エディット・ピアフの生きた時代』(東京ニュース通信社)、『百万本のバラ物語』(光文社)、『運命の歌のジグソーパズル』(朝日新聞出版)、『トコちゃん物語』(合同出版社)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです




