- 笠井賢一 著
- 四六上製 368頁
ISBN-13: 9784865783919
刊行日: 2023/7
劇作家、演出家、そして能楽プロデューサーとして、伝統芸能と現代演劇を繋ぐ実践の中で掘り下げてきた、“いのちの根源にあるもの”としての芸能を描く!
神楽から雅楽、能・狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎など中世から近世の古典芸能と、現代演劇や音楽、そして風土に根ざした芸能とともに中国や西洋からの影響が併存し、多様な芸能世界を構成している、日本の芸能の力とは何か。
目次
はじめに
第Ⅰ部 芸能のはじまりから中世まで
一 芸能のはじまり
まず、日本を知る/生命力の発露/芸能のはじまり/神を慰める/神楽/遊び/『千年の修羅』/俳優―わざおぎ/言霊の幸ふ国/文字の根源
二 日韓芸能交流の現場
羽衣伝説/伎楽の仮面/河回村/『羽衣』上演/『羽衣』の演出/「落火船遊」
三 雅楽の世界
伎楽から雅楽へ/雅楽の言葉/『青海波』/『迦陵頻』と『胡蝶』/舞楽法会/五世野村万之丞追悼/間奏曲
四 翁猿楽への道
散楽/猿楽の源/田楽/『翁』の舞台/芸能としての翁/別火/翁と三番叟/成熟と喪失
五 脇能・修羅能・鬘能
『高砂』/修羅能とは/『敦盛』/『屋島』/「奈須与市語」/『巴』/幽玄の能/『井筒』/『井筒』と『野宮』/『野宮』/全ては夢の世と/『安達原』/糸を繰る/怒りと同じほどの哀しみ
六 能と狂言の表現方法
アクセルとブレーキ/何事かの到来、何者かの到来/能の装束と仮面/狂言の人間観/幽玄の上類のをかし/げに恐ろしきは女なり/笑った後で身につまされ/悲劇と喜劇の綯い合わせ
七 伝統と現代
今様の世界/今様と『平家物語』/『平家物語』と新作能/『源氏物語』と新作能/新作能『不知火』/命から命へ繫がる伝統/伝統の現在
第Ⅱ部 近世から現代まで
一 近世への架け橋
「芸能の力」を見直す/文字を遡る/新しい文化の担い手/「座」の誕生/今様、婆娑羅、傾奇/神仏習合/古刹 長楽寺――ライフワークの出発点に
二 中世から近世へ
観阿弥と世阿弥/世阿弥の能『実盛』/浄瑠璃の『実盛』の筋立て/浄瑠璃の『実盛』の劇構造/能と秀吉/芸能を演じた天下人/死を見つめる能、日常を笑う狂言/狂言綺語
三 歌舞伎と浄瑠璃の時代
歌舞伎の始まり/「憂き世」と「浮き世」/西鶴・芭蕉・近松/孤高の俳人、芭蕉/芭蕉の到達点/西鶴と近松の競合/作者・近松の誕生/浄瑠璃の源流/近松と歌舞伎/『曽根崎心中』の筋立て/『曽根崎心中』の同時代性/わが修業時代/『曽根崎心中』上演途絶/竹本座と豊竹座の競合/『国性爺合戦』大ヒット/能『俊寛』から浄瑠璃「鬼界ヶ島の段」/近松の到達点『心中天網島』/近松の辞世/近松の芸能論/十世坂東三津五郎/四世坂田藤十郎
四 三大浄瑠璃とその後
三大浄瑠璃の誕生/「寺子屋の段」/『義経千本桜』/『仮名手本忠臣蔵』/「山科閑居の段」/風と型/近松半二/「文楽」の時代/中江兆民と文楽
五 歌舞伎の多様性
百万人都市江戸/舞と踊/歌舞伎舞踊の展開/悪場所とは/顔見世と世界定め/生世話物の誕生/南北から黙阿弥へ/絵金の芝居絵/『双生隅田川』/世阿弥と元雅の論争/歌右衛門の『隅田川』/楽劇『新曲浦島』
六 現代へ
「うた」の大河/アウシュヴィッツにて/「君死にたまふことなかれ」
おわりに
本書関連年表(612-2005年)
第Ⅰ部 芸能のはじまりから中世まで
一 芸能のはじまり
まず、日本を知る/生命力の発露/芸能のはじまり/神を慰める/神楽/遊び/『千年の修羅』/俳優―わざおぎ/言霊の幸ふ国/文字の根源
二 日韓芸能交流の現場
羽衣伝説/伎楽の仮面/河回村/『羽衣』上演/『羽衣』の演出/「落火船遊」
三 雅楽の世界
伎楽から雅楽へ/雅楽の言葉/『青海波』/『迦陵頻』と『胡蝶』/舞楽法会/五世野村万之丞追悼/間奏曲
四 翁猿楽への道
散楽/猿楽の源/田楽/『翁』の舞台/芸能としての翁/別火/翁と三番叟/成熟と喪失
五 脇能・修羅能・鬘能
『高砂』/修羅能とは/『敦盛』/『屋島』/「奈須与市語」/『巴』/幽玄の能/『井筒』/『井筒』と『野宮』/『野宮』/全ては夢の世と/『安達原』/糸を繰る/怒りと同じほどの哀しみ
六 能と狂言の表現方法
アクセルとブレーキ/何事かの到来、何者かの到来/能の装束と仮面/狂言の人間観/幽玄の上類のをかし/げに恐ろしきは女なり/笑った後で身につまされ/悲劇と喜劇の綯い合わせ
七 伝統と現代
今様の世界/今様と『平家物語』/『平家物語』と新作能/『源氏物語』と新作能/新作能『不知火』/命から命へ繫がる伝統/伝統の現在
第Ⅱ部 近世から現代まで
一 近世への架け橋
「芸能の力」を見直す/文字を遡る/新しい文化の担い手/「座」の誕生/今様、婆娑羅、傾奇/神仏習合/古刹 長楽寺――ライフワークの出発点に
二 中世から近世へ
観阿弥と世阿弥/世阿弥の能『実盛』/浄瑠璃の『実盛』の筋立て/浄瑠璃の『実盛』の劇構造/能と秀吉/芸能を演じた天下人/死を見つめる能、日常を笑う狂言/狂言綺語
三 歌舞伎と浄瑠璃の時代
歌舞伎の始まり/「憂き世」と「浮き世」/西鶴・芭蕉・近松/孤高の俳人、芭蕉/芭蕉の到達点/西鶴と近松の競合/作者・近松の誕生/浄瑠璃の源流/近松と歌舞伎/『曽根崎心中』の筋立て/『曽根崎心中』の同時代性/わが修業時代/『曽根崎心中』上演途絶/竹本座と豊竹座の競合/『国性爺合戦』大ヒット/能『俊寛』から浄瑠璃「鬼界ヶ島の段」/近松の到達点『心中天網島』/近松の辞世/近松の芸能論/十世坂東三津五郎/四世坂田藤十郎
四 三大浄瑠璃とその後
三大浄瑠璃の誕生/「寺子屋の段」/『義経千本桜』/『仮名手本忠臣蔵』/「山科閑居の段」/風と型/近松半二/「文楽」の時代/中江兆民と文楽
五 歌舞伎の多様性
百万人都市江戸/舞と踊/歌舞伎舞踊の展開/悪場所とは/顔見世と世界定め/生世話物の誕生/南北から黙阿弥へ/絵金の芝居絵/『双生隅田川』/世阿弥と元雅の論争/歌右衛門の『隅田川』/楽劇『新曲浦島』
六 現代へ
「うた」の大河/アウシュヴィッツにて/「君死にたまふことなかれ」
おわりに
本書関連年表(612-2005年)
関連情報
私にとって現代劇の演出の仕事と並行して、歌舞伎、文楽から能・狂言という日本の古典芸能に題材をとった仕事が常にあり、常に古い時代に遡ることが必要でした。古典を現代劇として生かすべく、能・狂言を、『平家物語』を、近松門左衛門を見直し、作品を創ってきました。世阿弥にしても近松門左衛門にしても、先人が積み上げてきた世界を、いかに自分の時代の表現にするかという苦闘の果てに新たな時代を切り拓いたのです。
芭蕉は『おくのほそ道』の旅で、新味――「今様」のこと――を求めて変化を重ねていく流行性こそが、変わらない真実である不易となっていくという、「不易流行」という考えに到達します。つまりは古典と現代(今様)の緊張関係が新たな創造を生むということなのです。
このような演劇の実践的な活動の渦中で書きついできたのが、この一連の文章なのです。(本書より)
芭蕉は『おくのほそ道』の旅で、新味――「今様」のこと――を求めて変化を重ねていく流行性こそが、変わらない真実である不易となっていくという、「不易流行」という考えに到達します。つまりは古典と現代(今様)の緊張関係が新たな創造を生むということなのです。
このような演劇の実践的な活動の渦中で書きついできたのが、この一連の文章なのです。(本書より)
著者紹介
●笠井賢一(かさい・けんいち)
1949年生。銕仙会(能・観世流)プロデューサーを経て、アトリエ花習主宰。演出家・劇作家として古典と現代を繫ぐ演劇活動を能狂言役者や現代劇の役者、邦楽、洋楽の演奏家たちと続ける。玉川大学芸術学部、東京藝術大学美術学部の非常勤講師を務めた。
主な演出作品に、石牟礼道子作・新作能『不知火』、多田富雄作・新作能『一石仙人』、東京藝術大学邦楽アンサンブル『竹取物語』『賢治宇宙曼荼羅』、北とぴあ国際音楽祭オペラ『オルフェーオ』、アトリエ花習公演『言葉の力――詩・歌・舞』創作能舞『三酔人夢中酔吟――李白と杜甫と白楽天』など。編著に『花供養』(多田富雄・白洲正子著)『芸の心――能狂言 終わりなき道』(野村四郎・山本東次郎著)『梅は匂ひよ 桜は花よ 人は心よ』(野村幻雪[四郎改]著、以上藤原書店刊)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1949年生。銕仙会(能・観世流)プロデューサーを経て、アトリエ花習主宰。演出家・劇作家として古典と現代を繫ぐ演劇活動を能狂言役者や現代劇の役者、邦楽、洋楽の演奏家たちと続ける。玉川大学芸術学部、東京藝術大学美術学部の非常勤講師を務めた。
主な演出作品に、石牟礼道子作・新作能『不知火』、多田富雄作・新作能『一石仙人』、東京藝術大学邦楽アンサンブル『竹取物語』『賢治宇宙曼荼羅』、北とぴあ国際音楽祭オペラ『オルフェーオ』、アトリエ花習公演『言葉の力――詩・歌・舞』創作能舞『三酔人夢中酔吟――李白と杜甫と白楽天』など。編著に『花供養』(多田富雄・白洲正子著)『芸の心――能狂言 終わりなき道』(野村四郎・山本東次郎著)『梅は匂ひよ 桜は花よ 人は心よ』(野村幻雪[四郎改]著、以上藤原書店刊)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです