- 徳富蘇峰 著
- 註・解説=所功
- 四六変上製 208頁・口絵4頁
ISBN-13: 9784865784664
刊行日: 2025/7
幻の「遺言」の書、遂に刊行。
昭和21年、A級戦犯容疑をかけられ老齢で持病のため自宅拘禁中の大言論人・徳富猪一郎は、日本の歴史において「皇室」の果たしてきた役割を渾身の力で語り下ろしたが、公職追放中には公表できず、昭和28年刊の私家版のまま埋もれていた幻の「遺言」の書。
米占領下において、敗戦の原因を問い、日本が国として進むべき道筋を説く。
目次
[本書を読むための解説]敗戦後の皇室論と独立後の時局観(所功)
国史より観たる皇室
小稿由来記
第一 日本の統制力
第二 日本民族の熔鉱炉
第三 日本の一大求心力
第四 日本精神の根軸
第五 神国思想
第六 日本のデモクラシーと皇室
第七 国民の宗教心と皇室
第八 皇室の宗教的根拠と感化
第九 日本統一と神武天皇
第十 日本統一の定礎およびその紹成
第十一 日本統一の完成
第十二 外患と勤皇心
第十三 維新の大業と孝明天皇
第十四 人君の天職と明治天皇
第十五 独善的天皇崇拝者の罪科
第十六 君道と輔導
第十七 日本の顚落と輔弼の側近
〔附載〕日本の行くべき道
徳富蘇峰 略年譜(1863-1957)
徳富蘇峰 関係人物 在世年表
人名索引
国史より観たる皇室
小稿由来記
第一 日本の統制力
第二 日本民族の熔鉱炉
第三 日本の一大求心力
第四 日本精神の根軸
第五 神国思想
第六 日本のデモクラシーと皇室
第七 国民の宗教心と皇室
第八 皇室の宗教的根拠と感化
第九 日本統一と神武天皇
第十 日本統一の定礎およびその紹成
第十一 日本統一の完成
第十二 外患と勤皇心
第十三 維新の大業と孝明天皇
第十四 人君の天職と明治天皇
第十五 独善的天皇崇拝者の罪科
第十六 君道と輔導
第十七 日本の顚落と輔弼の側近
〔附載〕日本の行くべき道
徳富蘇峰 略年譜(1863-1957)
徳富蘇峰 関係人物 在世年表
人名索引
関連情報
敗戦後まもない言論界などでは、GHQの占領政策や共産勢力などの教育工作と呼応して、皇室(天皇)を非難し否定するような浮説を流すことに熱心であったとみられる。
そうした風潮に直面した一般の人々は、どう考えたらよいのか戸惑いながら、何を為すべきか容易に思い至らなかったのではないか。
それに対して、自らの信念を述べ勇敢に対策を説く識者も、決して少くなかった。その代表的な言論人が、徳富猪一郎「蘇峰」である。
徳富蘇峰氏は、多彩な言論人であると共に、卓越した歴史家でもあった。しかしながら、当時懸命に書いても、出版困難な状況にあり、筺底に留め置くほかない草稿もあった。
そのうち、最も重要な一つがこの『国史より観たる皇室』にほかならない。
(所功「本書を読むための解説」より)
そうした風潮に直面した一般の人々は、どう考えたらよいのか戸惑いながら、何を為すべきか容易に思い至らなかったのではないか。
それに対して、自らの信念を述べ勇敢に対策を説く識者も、決して少くなかった。その代表的な言論人が、徳富猪一郎「蘇峰」である。
徳富蘇峰氏は、多彩な言論人であると共に、卓越した歴史家でもあった。しかしながら、当時懸命に書いても、出版困難な状況にあり、筺底に留め置くほかない草稿もあった。
そのうち、最も重要な一つがこの『国史より観たる皇室』にほかならない。
(所功「本書を読むための解説」より)
著者紹介
●徳富蘇峰(とくとみ・そほう)
文久3年(1863)1月(新暦3月)、肥後藩(現熊本県水俣市)に生まれる。本名・猪一郎。弟に徳冨蘆花(健次郎)がいる。父一敬は横井小楠の弟子。熊本洋学校をへて同志社英学校に入り、新島襄の薫陶を受け、キリスト教の洗礼を受けるが、明治13年(1880)同校中退、熊本に帰る。明治15年(1882)大江義塾を開き、自由主義を掲げ実学教育を行う。
明治19年(1886)『将来之日本』を出版、文名を高め、一家を挙げて上京。勝海舟の邸内の借家に住む。翌年、民友社を創立、『国民之友』を発刊。明治23年(1890)『国民新聞』を創刊。平民主義を訴えたが、日清戦争開始前後より国家主義へ。三国干渉後は挙国一致・軍備増強を訴える。安場保和との交流を通じて、その女婿・後藤新平と相識る。明治30年(1897)松方正義内閣において内務省勅任参事官となる。その後、桂太郎内閣にも関わり、日露講和と大正政変の二度、新聞社が襲撃を受ける。
大正2年(1913)桂の逝去によって政治を離れ、『近世日本国民史』執筆開始。大正12年(1923)の関東大震災で新聞社が全焼。昭和4年(1929)には国民新聞社を離れ、大阪毎日新聞、東京日日新聞の社賓となる。日米開戦後、大日本言論報国会・日本文学報国会の会長に就任、昭和18年(1943)に文化勲章を受章(戦後返上)。
敗戦後にGHQから公職追放を受け自宅拘禁、昭和27年(1952)に解除。同年、『近世日本国民史』全100巻完稿。昭和32年(1957)11月2日、熱海の晩晴草堂で逝去、享年満94歳。
【註・解説】
所功(ところ・いさお)
昭和16年(1941)12月12日、岐阜県出生(小田原市現住)
同41年3月、名古屋大学大学院修士課程(国史学)卒業
同61年9月、法学博士(慶應義塾大学、日本法制文化史)
令和元年(2019)11月、日本学賞(宮廷文化の史的研究)
[職歴]皇學館大學文学部教員(9年間)、文部省初中局社会科日本史教科書調査官(6年間)、京都産業大学教養部・法学部・日本文化研究所教授(31年間)、モラロジー研究所教授(10年間)歴任。
[現在]京都産業大学名誉教授、皇學館大學特別招聘教授、京都宮廷文化研究所特別顧問、國民會館理事など。
[著書]『天皇の歴史と法制を見直す』『「天皇学」入門ゼミナール』(藤原書店)、『菅原道真の実像』(臨川書店)、『伊勢神宮』(講談社学術文庫)、『京都の三大祭』(角川ソフィア文庫)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
文久3年(1863)1月(新暦3月)、肥後藩(現熊本県水俣市)に生まれる。本名・猪一郎。弟に徳冨蘆花(健次郎)がいる。父一敬は横井小楠の弟子。熊本洋学校をへて同志社英学校に入り、新島襄の薫陶を受け、キリスト教の洗礼を受けるが、明治13年(1880)同校中退、熊本に帰る。明治15年(1882)大江義塾を開き、自由主義を掲げ実学教育を行う。
明治19年(1886)『将来之日本』を出版、文名を高め、一家を挙げて上京。勝海舟の邸内の借家に住む。翌年、民友社を創立、『国民之友』を発刊。明治23年(1890)『国民新聞』を創刊。平民主義を訴えたが、日清戦争開始前後より国家主義へ。三国干渉後は挙国一致・軍備増強を訴える。安場保和との交流を通じて、その女婿・後藤新平と相識る。明治30年(1897)松方正義内閣において内務省勅任参事官となる。その後、桂太郎内閣にも関わり、日露講和と大正政変の二度、新聞社が襲撃を受ける。
大正2年(1913)桂の逝去によって政治を離れ、『近世日本国民史』執筆開始。大正12年(1923)の関東大震災で新聞社が全焼。昭和4年(1929)には国民新聞社を離れ、大阪毎日新聞、東京日日新聞の社賓となる。日米開戦後、大日本言論報国会・日本文学報国会の会長に就任、昭和18年(1943)に文化勲章を受章(戦後返上)。
敗戦後にGHQから公職追放を受け自宅拘禁、昭和27年(1952)に解除。同年、『近世日本国民史』全100巻完稿。昭和32年(1957)11月2日、熱海の晩晴草堂で逝去、享年満94歳。
【註・解説】
所功(ところ・いさお)
昭和16年(1941)12月12日、岐阜県出生(小田原市現住)
同41年3月、名古屋大学大学院修士課程(国史学)卒業
同61年9月、法学博士(慶應義塾大学、日本法制文化史)
令和元年(2019)11月、日本学賞(宮廷文化の史的研究)
[職歴]皇學館大學文学部教員(9年間)、文部省初中局社会科日本史教科書調査官(6年間)、京都産業大学教養部・法学部・日本文化研究所教授(31年間)、モラロジー研究所教授(10年間)歴任。
[現在]京都産業大学名誉教授、皇學館大學特別招聘教授、京都宮廷文化研究所特別顧問、國民會館理事など。
[著書]『天皇の歴史と法制を見直す』『「天皇学」入門ゼミナール』(藤原書店)、『菅原道真の実像』(臨川書店)、『伊勢神宮』(講談社学術文庫)、『京都の三大祭』(角川ソフィア文庫)など。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです




