玉井義臣の全仕事 あしなが運動六十年(全4巻・別巻一) 1 すべては母の事故死に始まる 1963-1969 [第3回配本]

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  • 玉井義臣 著
  • A5上製布クロス装 672頁・口絵4頁
    ISBN-13: 9784865784404
    刊行日: 2024/10

生涯を遺児救済運動に捧げてきた稀有の社会運動家の軌跡

毎年の街頭募金と寄付金により、交通事故・災害・病気・自死などさまざまな理由で親を喪った遺児たちを支える「あしなが運動」。現在、誰もが知るようになったこの運動の誕生から現在に至る60年の軌跡を、創始者・玉井義臣の仕事から描く著作集成。

【著者メッセージ】
『玉井義臣の全仕事 あしなが運動六十年』(全4巻・別巻一)は、私たちが歩んできた道のり、携わってきた仕事、その記録の全てを集成したものである。ここには私たちの想いのすべて、喜びも、哀しみも、怒りも、私たちが味わってきた感情のすべてが濃密に詰まっている。ぜひ、これからを生きる若いひとたちに読んで欲しい。  玉井義臣

◎推薦=吉永小百合 山極壽一 山下泰裕 ウスビ・サコ
★内容見本呈


1 すべては母の事故死に始まる 1963–1969 [第3回配本]

「交通遺児育英会」の誕生!

母の交通事故死をきっかけに書き上げた論文が『朝日ジャーナル』に掲載され、当時の代表的知識人である都留重人氏が激賞。初の交通評論家として「桂小金治アフタヌーン ショー」などのTVで大活躍する中で、交通遺児救済運動に踏み出し、「交通遺児育英会」の発足へ!
◎月報=樋口恵子/桂小金治/あしなが奨学生・卒業生/遺児の母親


目次

総序 日本が世界に誇るあしなが運動とあしながさん
    ――『玉井義臣の全仕事 あしなが運動六十年』刊行にあたって――

第Ⅰ巻の序 母の事故死が私をきたえた

第Ⅰ部 交通戦争に巻き込まれて――故なくして事故に奪われた母を想う 1965

「親不孝者」の末っ子に、盲目的愛情を注いだ母を理不尽な輪禍と救急体制で喪った「甘ったれ」息子が、母への「敵討ち」を誓った。徒手空拳、無名の青年は、活字の力で遅れた交通行政、救急医療を正そうと、日本の社会運動変革の第一歩を、『朝日ジャーナル』誌での論文にまとめ、都留重人に高く評価される。その日から「交通評論家」の肩書を得てマスコミ界の寵児となる。

第Ⅱ部 交通犠牲者――恐怖の実態を追跡する‌ 1965. 12

交通犠牲者の実態を、「救急医療」と「損害賠償」の二面から探り、いかにすれば被害者を救済できるかを考察した単行本である。人類の新たな敵としての交通事故をとらえ、その撲滅への道を探る。本書に触発された岡嶋信治とともに、交通遺児救済の道を歩み始め、若きボランティアと、街頭募金に立つ。のちにあしなが運動となる社会運動の始まりだった。

第Ⅲ部 交通戦争解決への道――自動車損害賠償センターを即刻開設せよ 1966

江戸時代から変わらぬ狭小な道路に、増産された自動車があふれ、高速で突っ走る。この現状を見て、「道路は誰のものか」と問いかけ、事故被害者、特に頭部外傷者への救急医療センター設置と同時に、自動車損害賠償センターも開設、任意保険が不十分な状況下、被害者への充分な金銭的な補償を求めた。この運動により「桂小金治アフタヌーショー」へ招かれる。

第Ⅳ部 「安いいのち」が生む交通事故――あまりにも軽すぎる事故の加害者責任 1967

自動車を「文明破壊者」「殺人機械」とまで極論し、全国各地で起きる交通事故の大半を運転者責任として、歩行者責任をとなえる自動車業界、大学教授らを真っ向から否定する。近代文明の象徴ともいうべき、自動車が生み出した人命軽視の風潮に、法務省とタッグを組んで、刑法一部改正案にとりかかる。

第Ⅴ部 未来型大都市交通安全対策――クルマよりヒト優位の交通政策を 1968 –1969. 3

徹底的に交通戦争被害者の味方として、人間優位の立場から、歩行者よりも自動車運転手に事故の責任を求め、賠償金の四割が支払われない現状には、法廷闘争もいとわず救済者としての弁護士を期待する。同時に、「交通事故遺児を励ます会」を主宰する岡嶋信治の相談役として交通遺児育英会設立への第一歩を踏み出していく。

おわりに――「活字」の持つ底知れない力
年譜
初出一覧

関連情報

交通遺児育英会を追われた玉井義臣は、わずか4人の同志とともに、「あしなが育英会」を拠点に甦る。「れんたい」終了後わずか1カ月あまりの1994年、新機関紙『NEWあしながファミリー』を創刊、連載コラム「共生」をスタートさせた。以来、2024年に至るまでの連載コラムを、本巻に収録する。

時代は、「交通戦争」と称されたように、交通事故が多発し、NHKからは「こんにちは奥さん」をはじめとして、いくつかの番組から招かれ、クルマ社会への激烈な抗議を私は続けたものです。本書に所収した、当時の私の原稿は、かなり攻撃的な内容となっています。

同じころ、「アフタヌーンショー」のTV討論会で、永野重雄富士製鉄社長や富士銀行の岩佐凱実頭取と面識を得た私は、貧しさに泣いている交通遺児家庭への育英会設立を考え始め、相談したのです。小生意気な若造「交通評論家」の夢想話を、永野さんは笑わずに聞き、世間の常識や組織作りのコツを、噛んで含めるように教えてくださいました。ほかでも書きましたが、名誉総裁は宮様にお願いすること、事務所は永田町、平河町に置くこと、社会的に信用のある人物を会長、理事・監事に置くことなどの忠告は、忘れることができません。これらすべては、世間的にどこの馬の骨ともわからない私に信用をつけさせようとした、永野さんの親心だったのです。

交通遺児育英会設立にあたって「言い出した以上は僕が責任を取ろう」と永野さんは会長職を引き受けるばかりか、岩佐さんをはじめとする多くの財界人を役職に就けるよう動いてくださいました。こうして、1969年5月2日、交通遺児育英会を財団法人として発足したのです。

著者紹介

●玉井義臣(たまい・よしおみ)
1935年大阪府生まれ。滋賀大学卒業後、経済ジャーナリストとしてデビュー。母親の交通事故死から被害者の救済問題を提起し、日本初の「交通評論家」として活動開始。TVワイドショー「桂小金治アフタヌーンショー」出演をきっかけに、69年に財界重鎮・永野重雄氏と民間ボランティア団体「遺児を励ます会」等の協力を得て「財団法人・交通遺児育英会」を設立、専務理事に就任する。94年同育英会への官僚天下り人事に抗議する形で専務理事を辞任。災害・病気・自死遺児など全ての遺児の支援のために設立した「あしなが育英会」の副会長に就任。98年、会長に就任。現在は支援の対象を国内に止めず、世界の極貧地アフリカのサブサハラ49か国から優秀な遺児を毎年1国1人選抜し、日本と世界の有数大学に留学させ、帰国後国づくりに参加させ、ひいては世界の貧困削減につなげる「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」に邁進している。
69年以降の玉井主導募金額1100億円で高校・大学等に進学した遺児は11万余人に上る。2012年、遺児進学と東日本大震災での迅速な遺児支援活動、アフリカ遺児への教育支援100年構想に対し「世界ファンドレイジング大賞」。2015年、日本及び世界の遺児に教育的サポートを行ない、遺児を貧困の連鎖から解き放つ運動を展開し、人権の擁護に努めたことに対し「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」。2018年、日本国内外を問わず、現代において後藤新平のように文明のあり方そのものを思索し、それを新しく方向づける業績を挙げたことに対し「第12回後藤新平賞」を受賞している。その他受賞多数。
著書に『愛してくれてありがとう』(2020年)、『玉井義臣の全仕事 あしなが運動六十年』(全4巻・別巻一、2024年―)、編著に『何があっても、君たちを守る 遺児作文集』(2021年、いずれも藤原書店)他。

*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです

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