- 後藤新平 著
- 立石駒吉 編
- 伏見岳人 監修・解説
- 四六上製 320頁・口絵4頁
ISBN-13: 9784865784657
刊行日: 2025/7
1911年、53歳。
世の注目を一身に浴びる後藤新平の肉声を初集成
西郷隆盛、福沢諭吉、勝海舟、岩倉具視、高野長英、児玉源太郎、伊藤博文、渋沢栄一ら〈偉人論・先人論〉
台湾・満洲経験と世界情勢を踏まえた〈文明論・世界観〉
若者への期待と鼓舞に満ちた〈人生論・仕事論〉
など、世の注目を一身に浴びる後藤新平の肉声を初集成した46編の秀逸な講演・論説集。
現代表記ほか読みやすく編集を加え、気鋭の解説を付して遂に刊行!
目次
監修者の序
はしがき (原版編者)
Ⅰ 私の英雄論
南洲と太閤とナポレオン
福沢諭吉先生の追想
勝海舟伯の印象
岩倉具視右大臣初対面の回顧
予を感化せる高野長英
児玉源太郎大将と余
検疫部長当時の児玉大将
伊藤博文公と社会主義弁
渋沢栄一論
台湾島中の第一人辜顕栄
ブース大将に与うる書
ルーズヴェルト観
Ⅱ 青年たちよ
予の好む青年
理想の青年
天は自から助くる者を助く
彼も人我も人
青年謳歌論
父兄の罪か先輩の罪か
予の青年時代
逆境時代の努力
新人材の訓練
現代要求の人物
成功の源泉は自信力
鞏固なる意志
処世の根本義
Ⅲ 世界の中の日本
帝国大学の殖民講座計画
戦後経営と殖民政策
台湾の統治
台湾経営雑談
統計の応用――台湾統計協会席上において
軍国の社会政策
南満鉄道経営の苦心
世界交通の大動脈――シベリアと南北満洲との連絡
Ⅳ 読書と社会
実業発展の根本
東西文明の会合点
適応順化と自家の本領発揮
読書と活社会
学俗の調和――社会教育会のために
後藤家の至宝
処世主義の要訣
殫極のコウは幹を断つ
元禄義挙の感想
快夢を貪るは国賊
交通機関の利用
ただ愛あるのみ
誤伝と誤解――ファーデル氏に告ぐ
〈解説〉後藤新平の語る仕事の流儀――伏見岳人
はしがき (原版編者)
Ⅰ 私の英雄論
南洲と太閤とナポレオン
福沢諭吉先生の追想
勝海舟伯の印象
岩倉具視右大臣初対面の回顧
予を感化せる高野長英
児玉源太郎大将と余
検疫部長当時の児玉大将
伊藤博文公と社会主義弁
渋沢栄一論
台湾島中の第一人辜顕栄
ブース大将に与うる書
ルーズヴェルト観
Ⅱ 青年たちよ
予の好む青年
理想の青年
天は自から助くる者を助く
彼も人我も人
青年謳歌論
父兄の罪か先輩の罪か
予の青年時代
逆境時代の努力
新人材の訓練
現代要求の人物
成功の源泉は自信力
鞏固なる意志
処世の根本義
Ⅲ 世界の中の日本
帝国大学の殖民講座計画
戦後経営と殖民政策
台湾の統治
台湾経営雑談
統計の応用――台湾統計協会席上において
軍国の社会政策
南満鉄道経営の苦心
世界交通の大動脈――シベリアと南北満洲との連絡
Ⅳ 読書と社会
実業発展の根本
東西文明の会合点
適応順化と自家の本領発揮
読書と活社会
学俗の調和――社会教育会のために
後藤家の至宝
処世主義の要訣
殫極のコウは幹を断つ
元禄義挙の感想
快夢を貪るは国賊
交通機関の利用
ただ愛あるのみ
誤伝と誤解――ファーデル氏に告ぐ
〈解説〉後藤新平の語る仕事の流儀――伏見岳人
関連情報
■本書は、当時五十代前半の後藤新平が、多くの人々を対象とした講演や、雑誌記者に語った内容などを集めて編纂して、1911年に発行された本である。台湾総督府や南満洲鉄道株式会社での活躍を経て、交通事業や通信事業を所管する逓信大臣として、後藤の名が世の中に広く知れわたっていく時期の刊行物であり、後藤の人柄や考え方について、より身近に接することができる一冊である。英雄たちとのエピソードの数々や、青年たちに仕事の意義を語った訓話、台湾や満洲での経験談に、読書の効用などを自由に説いた人生訓など、初めて後藤の言葉に接する人々にも伝わりやすい内容がそろえられている。
■働き盛りの後藤新平が、先輩たちとの出会いを、仕事に没頭することの価値を、そして日本と世界の行く末を、生の声で存分に語っているのが、この『後藤新平論集』である。本書は、後藤新平について、さらに一歩進んで理解したい人にとって、これから必読の一冊になっていくであろう。
(「監修者の序」より)
●「福沢諭吉先生の追想」より――福沢先生は一個堂々たる学者であったが、常に念頭から世俗というものを離さなかった。先生はどこまでも、学問の独占ということに反対して、文明の恩沢を一般世俗の上にも行きわたらせようとして、努力奮闘せられたのである。これは今日より見て、非常なる卓見といわなければならぬ。
●「勝海舟伯の印象」より――「普通人間の頸の働きというものは、左右に廻転させるか、上下に肯くか、それより他に働かせることはできない。今普通の人間が頸を左右に廻転させてみたところで、わずかに後の方を見ることができるくらいのものであるけれども、わがはいの頸は決してそうでない。上下に伸縮自在である」と、伯は得意満面で話された。
●「児玉源太郎大将と余」より――伊藤(博文)公も私を了解してくれた。ある点においては、児玉大将以上に了解してくれたかも知れない。けれども児玉大将は大体に亘って私の人格を了解してくれた。私と児玉さんとの間には一髪の間隙も無かった。親子兄弟といえども、意志の合わぬところのあるのに、二人の間には死ぬるまで意志感情の齟齬が無かった。
■働き盛りの後藤新平が、先輩たちとの出会いを、仕事に没頭することの価値を、そして日本と世界の行く末を、生の声で存分に語っているのが、この『後藤新平論集』である。本書は、後藤新平について、さらに一歩進んで理解したい人にとって、これから必読の一冊になっていくであろう。
(「監修者の序」より)
●「福沢諭吉先生の追想」より――福沢先生は一個堂々たる学者であったが、常に念頭から世俗というものを離さなかった。先生はどこまでも、学問の独占ということに反対して、文明の恩沢を一般世俗の上にも行きわたらせようとして、努力奮闘せられたのである。これは今日より見て、非常なる卓見といわなければならぬ。
●「勝海舟伯の印象」より――「普通人間の頸の働きというものは、左右に廻転させるか、上下に肯くか、それより他に働かせることはできない。今普通の人間が頸を左右に廻転させてみたところで、わずかに後の方を見ることができるくらいのものであるけれども、わがはいの頸は決してそうでない。上下に伸縮自在である」と、伯は得意満面で話された。
●「児玉源太郎大将と余」より――伊藤(博文)公も私を了解してくれた。ある点においては、児玉大将以上に了解してくれたかも知れない。けれども児玉大将は大体に亘って私の人格を了解してくれた。私と児玉さんとの間には一髪の間隙も無かった。親子兄弟といえども、意志の合わぬところのあるのに、二人の間には死ぬるまで意志感情の齟齬が無かった。
著者紹介
●後藤新平(ごとう・しんぺい)
1857(安政4)年、水沢(現岩手県奥州市)の武家に生まれ、藩校をへて福島の須賀川医学校卒。1880(明治13)年、弱冠23歳で愛知病院長兼愛知医学校長心得に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局に。90年春ドイツ留学。帰国後、衛生局長。相馬事件に連座し衛生局を辞す。日清戦争帰還兵の検疫に手腕を発揮し、衛生局長に復す。98年、児玉源太郎総督の下、台湾民政局長(後に民政長官)に。台湾近代化に努める。1906年9月、初代満鉄総裁に就任、満鉄調査部を作り満洲経営の基礎を築く。
1908年夏より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。その後鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16年秋、寺内内閣の内相、18年春外相に。
1920年暮、東京市長となり、腐敗した市政の刷新、市民による自治の推進、東京の近代化を図る「8億円計画」を提唱。22年秋、アメリカの歴史家・政治学者ビーアドを招く。23年春、ソ連極東代表のヨッフェを私的に招き、日ソ国交回復に尽力する。23年の関東大震災直後、第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、再びビーアドを緊急招聘、大規模な復興計画を立案。
政界引退後は、東京放送局(現NHK)初代総裁、少年団(ボーイスカウト)総長を歴任、「政治の倫理化」を訴え、全国を遊説した。1929(昭和4)年、遊説途上、京都で死去。
【監修者紹介】
●伏見岳人(ふしみ・たけと)
1979 年生まれ。東北大学公共政策大学院長、東北大学大学院法学研究科教授。日本政治外交史。
著書に『近代日本の予算政治 1900-1914』(東京大学出版会、2013年)、訳書にシーラ・スミス著『日中 親愛なる宿敵』(共訳、東京大学出版会、2018年)がある。また、『オンライン版後藤新平文書』(丸善雄松堂、2021年)の監修・解題を担当。
【編者紹介】
●立石駒吉(たていし・こまきち)
1886 年生まれ。没年未詳。渋沢栄一述『富源の開拓』、大隈重信著『大隈伯社会観』、小松原英太郎述『教育論』、安田善次郎『克己実話』などを編集。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1857(安政4)年、水沢(現岩手県奥州市)の武家に生まれ、藩校をへて福島の須賀川医学校卒。1880(明治13)年、弱冠23歳で愛知病院長兼愛知医学校長心得に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局に。90年春ドイツ留学。帰国後、衛生局長。相馬事件に連座し衛生局を辞す。日清戦争帰還兵の検疫に手腕を発揮し、衛生局長に復す。98年、児玉源太郎総督の下、台湾民政局長(後に民政長官)に。台湾近代化に努める。1906年9月、初代満鉄総裁に就任、満鉄調査部を作り満洲経営の基礎を築く。
1908年夏より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。その後鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16年秋、寺内内閣の内相、18年春外相に。
1920年暮、東京市長となり、腐敗した市政の刷新、市民による自治の推進、東京の近代化を図る「8億円計画」を提唱。22年秋、アメリカの歴史家・政治学者ビーアドを招く。23年春、ソ連極東代表のヨッフェを私的に招き、日ソ国交回復に尽力する。23年の関東大震災直後、第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、再びビーアドを緊急招聘、大規模な復興計画を立案。
政界引退後は、東京放送局(現NHK)初代総裁、少年団(ボーイスカウト)総長を歴任、「政治の倫理化」を訴え、全国を遊説した。1929(昭和4)年、遊説途上、京都で死去。
【監修者紹介】
●伏見岳人(ふしみ・たけと)
1979 年生まれ。東北大学公共政策大学院長、東北大学大学院法学研究科教授。日本政治外交史。
著書に『近代日本の予算政治 1900-1914』(東京大学出版会、2013年)、訳書にシーラ・スミス著『日中 親愛なる宿敵』(共訳、東京大学出版会、2018年)がある。また、『オンライン版後藤新平文書』(丸善雄松堂、2021年)の監修・解題を担当。
【編者紹介】
●立石駒吉(たていし・こまきち)
1886 年生まれ。没年未詳。渋沢栄一述『富源の開拓』、大隈重信著『大隈伯社会観』、小松原英太郎述『教育論』、安田善次郎『克己実話』などを編集。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです




