- 後藤新平 著
- 楠木賢道・伏見岳人 編・解説
- B6変上製 272頁
ISBN-13: 9784865785005
刊行日: 2026/6
世界大恐慌前夜。最晩年に遺した「内政」と「外交」の両面にわたる渾身の提言!
台湾民政長官、初代満鉄総裁、逓信大臣・内相・外相等を歴任した後藤新平(1857-1929)は、第一次世界大戦、そして関東大震災を経た日本と世界の未来を、どのように見通していたのか?
★「自治三訣 処世の心得」収録!
目次
はしがき
・挙国一致して国難を救え【昭和4年新年所感】(1929年1月)
(現代語訳・解説=楠木賢道)
・内政に関わる三提言【電力・生命保険・酒類の国有化についての「覚書」】(1929年1月16日)
(現代語訳・解説=楠木賢道)
・経済的国難来る【アメリカ資本の極東猛進に対して、いかなる対策があるのか】(1929年3月1日)
(現代語訳・解説=伏見岳人)
・市会議員選挙に付き東京市民に告ぐ【最後のラジオ演説】(1929年3月14日)
(解説=伏見岳人)
・自治三訣 処世の心得(1925年)
・挙国一致して国難を救え【昭和4年新年所感】(1929年1月)
(現代語訳・解説=楠木賢道)
・内政に関わる三提言【電力・生命保険・酒類の国有化についての「覚書」】(1929年1月16日)
(現代語訳・解説=楠木賢道)
・経済的国難来る【アメリカ資本の極東猛進に対して、いかなる対策があるのか】(1929年3月1日)
(現代語訳・解説=伏見岳人)
・市会議員選挙に付き東京市民に告ぐ【最後のラジオ演説】(1929年3月14日)
(解説=伏見岳人)
・自治三訣 処世の心得(1925年)
関連情報
■10年前、私が「国難来」の警告を発した当時においては、世間の多くの人々は私の憂いには共鳴せず、あるいはこれを杞憂病患者のたわ言にすぎないと見なしたが、不幸にも私の杞憂は、その後、着々と現実のものとなってきて、もはや何
ら説明を必要とせず、眼前に横たわる内外の時局それ自身が最も明白かつ端的な国難の姿であることを、何人も認識しないわけにはいかない情勢となってしまった。
■国家社会の全局をこのように深刻な行き詰まりの状態に陥れた原因は、いうまでもなく一言で言い尽くすことは難しいが、なかでも最も重大な原因が、政治の道が適切ではなかったことにあることは、誰も異存ないであろう。この国難を招 き寄せた責任は歴代の政府・与党・野党、および正しい政治の実現に無関心であった一般国民がともに負わなければならない宿業である。
(後藤新平「挙国一致して国難を救え」より)
■国家社会の全局をこのように深刻な行き詰まりの状態に陥れた原因は、いうまでもなく一言で言い尽くすことは難しいが、なかでも最も重大な原因が、政治の道が適切ではなかったことにあることは、誰も異存ないであろう。この国難を招 き寄せた責任は歴代の政府・与党・野党、および正しい政治の実現に無関心であった一般国民がともに負わなければならない宿業である。
(後藤新平「挙国一致して国難を救え」より)
著者紹介
●後藤新平(ごとう・しんぺい/1857-1929)
1857(安政4)年、水沢(現岩手県奥州市)の武家に生まれ、藩校をへて福島の須賀川医学校卒。1880(明治13)年、弱冠23歳で愛知病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年、内務省衛生局に。90年春、ドイツ留学。翌々年帰国後、衛生局長。相馬事件に連座し衛生局を非職となる。95年、日清戦争帰還兵の検疫に手腕を発揮し、衛生局長に復す。98年、児玉源太郎総督の下、台湾民政局長(後に民政長官)に。台湾近代化に努める。1906年9月、初代満鉄総裁に就任、満鉄調査部を作り満洲経営の基礎を築く。08年夏より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。その後鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16(大正5)年秋、寺内内閣の内相、18年春、外相に。20年暮、東京市長となり、腐敗した市政の刷新、市民による自治の推進、東京の近代化を図る「8億円計画」を提唱。22年秋、アメリカの歴史家ビーアドを招く。23年春、ソ連極東代表のヨッフェを私的に招き、日ソ国交回復に尽力する。同年9月、関東大震災直後に第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、再びビーアドを緊急招聘、大規模な復興計画を立案。その後、東京放送局(現NHK) 初代総裁、少年団(ボーイスカウト)総長を歴任、「政治の倫理化」を訴え、全 国を遊説した。
1929(昭和4)年遊説途上、京都で死去。
【編者紹介】
●楠木賢道(くすのき・よしみち)
1961年生。中央民族大学(中国)特聘教授、公益財団法人東洋文庫研究員。東洋史専攻。
著書に『清初対モンゴル政策史の研究』(汲古書院、2009年)、『森繁久彌・精神史の源流』(藤原書店、2022年)、編書に後藤新平『国家とは何か』(藤原書店、2021年)、『後藤新平の処世訓』(平木白星編、藤原書店、2026年)、共訳に『内国史院檔 天聡八年』(公益財団法人東洋文庫、2009年)がある。
●伏見岳人(ふしみ・たけと)
1979 年生。東北大学公共政策大学院長、東北大学大学院法学研究科教授。日本政治外交史。
著書に『近代日本の予算政治 1900-1914』(東京大学出版会、2013年)、訳書にシーラ・スミス著『日中 親愛なる宿敵』(共訳、東京大学出版会、2018年)がある。また、後藤新平『後藤新平論集』(立石駒吉編、藤原書店、2025年)の監修・解説、および『オンライン版後藤新平文書』(丸善雄松堂、2021年)の監修・解題を担当。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1857(安政4)年、水沢(現岩手県奥州市)の武家に生まれ、藩校をへて福島の須賀川医学校卒。1880(明治13)年、弱冠23歳で愛知病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年、内務省衛生局に。90年春、ドイツ留学。翌々年帰国後、衛生局長。相馬事件に連座し衛生局を非職となる。95年、日清戦争帰還兵の検疫に手腕を発揮し、衛生局長に復す。98年、児玉源太郎総督の下、台湾民政局長(後に民政長官)に。台湾近代化に努める。1906年9月、初代満鉄総裁に就任、満鉄調査部を作り満洲経営の基礎を築く。08年夏より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。その後鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16(大正5)年秋、寺内内閣の内相、18年春、外相に。20年暮、東京市長となり、腐敗した市政の刷新、市民による自治の推進、東京の近代化を図る「8億円計画」を提唱。22年秋、アメリカの歴史家ビーアドを招く。23年春、ソ連極東代表のヨッフェを私的に招き、日ソ国交回復に尽力する。同年9月、関東大震災直後に第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、再びビーアドを緊急招聘、大規模な復興計画を立案。その後、東京放送局(現NHK) 初代総裁、少年団(ボーイスカウト)総長を歴任、「政治の倫理化」を訴え、全 国を遊説した。
1929(昭和4)年遊説途上、京都で死去。
【編者紹介】
●楠木賢道(くすのき・よしみち)
1961年生。中央民族大学(中国)特聘教授、公益財団法人東洋文庫研究員。東洋史専攻。
著書に『清初対モンゴル政策史の研究』(汲古書院、2009年)、『森繁久彌・精神史の源流』(藤原書店、2022年)、編書に後藤新平『国家とは何か』(藤原書店、2021年)、『後藤新平の処世訓』(平木白星編、藤原書店、2026年)、共訳に『内国史院檔 天聡八年』(公益財団法人東洋文庫、2009年)がある。
●伏見岳人(ふしみ・たけと)
1979 年生。東北大学公共政策大学院長、東北大学大学院法学研究科教授。日本政治外交史。
著書に『近代日本の予算政治 1900-1914』(東京大学出版会、2013年)、訳書にシーラ・スミス著『日中 親愛なる宿敵』(共訳、東京大学出版会、2018年)がある。また、後藤新平『後藤新平論集』(立石駒吉編、藤原書店、2025年)の監修・解説、および『オンライン版後藤新平文書』(丸善雄松堂、2021年)の監修・解題を担当。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです




